夜間飛行

陽だまりを追いかける

蝶番と鍵、レースで編んだ優しさの庭 ミュージカル「シークレットガーデン」 感想

 ミュージカル「シークレット・ガーデン」@シアタークリエ

  • 7/4 13:00
  • メアリー:上垣 コリン:大東

初クリエ、というか初日比谷の劇場。国際フォーラムは大手町?と分類していいのでしょうか。地理がつかめない。
舞台にハマってから、こう、華やかな場所へどんどん足を運ぶことが多くなった。わたし自身、田んぼの中を自転車で通学するような田舎出身だったので舞台もミュージカルも、授業の一環で公民館まで自転車で走って観に行くようなものでしたから、いかにもビルもオフィスもバコバコ建っている土地に何個も劇場が置かれている光景は(はぁ~~~TOKYOはすげぇなぁ~~)と思う。田舎者故。

 

 感想

1900年代初頭。イギリス領インドで育った10歳の少女メアリーは、両親を流行病で亡くし、イギリス・ノースヨークシャーに住む伯父・アーチボルドに引き取られる。しかしアーチボルドは、最愛の妻・リリーを亡くして以来すっかり気難しくなってしまっていた。彼はリリーの面影を留めた息子とも距離を置き、屋敷にはすっかり沈んだ空気が漂っていた。
庭を散策していたメアリーはある日、「秘密の花園」の存在を知る。リリーが大切にしていた庭園で、彼女の死後にアーチボルドが鍵を掛けて閉ざしてしまったという。ふとした事からその鍵を見つけるが、肝心の扉が見つけられない―。
日々の暮らしの中でメイドのマーサやその弟ディコンをはじめとした使用人達と徐々に打ち解けていくメアリー。しかしその一方でアーチボルドは、どこかリリーに似ているメアリーを気に掛けながらも自身の殻から抜け出せずにいた。
アーチボルドの息子コリンは、叔父で医師のネヴィルの言いつけにより屋敷の部屋から出ずに暮らしており、足が不自由なひねくれた少年に育っていた。突然現れたメアリーにも始めは猛反発していたが、遠慮なくぶつかってくる彼女に次第に心を開いていく。
ある日、リリーの不思議な導きにより「秘密の花園」の扉を発見したメアリー。枯れてしまった庭を蘇らせようと、ディコン・庭師ベンと共に、アーチボルドには秘密で手入れを始め――。

シアタークリエ ミュージカル『シークレット・ガーデン』

 

これは妻との思い出にとらわれた旦那さんが少女と過ごすうちに心を溶かす物語だ!!と勝手に思っていたのでポスター詐欺では?とは思うものの、ファミリー層へ向けたものじゃなければ固定ファンの多い俳優を看板に乗せるよな~と思うしかない。
ストーリーはメアリーがほぼ全編出ずっぱり。でもずっと声がぶれない、すごい、中学生…?わがまま坊ちゃんコリンとメアリーの会話はかわいいし、全力でぶつかるメアリーに対して、今まで病弱だからこそ優しさで守られ、それに気づくことのできず孤独にいたコリンが心を開くことがいい。

これを観ようと思ったきっかけがスカピンで石丸乾二さん、石井一考さんの歌声に圧倒されてしまったから、そのふたりが共演、そしてまたもや石井さんの役柄が石丸さんの奥さんに横恋慕というだけで(えっ観よ)となったからです。今回のお二人は火花を散らすような恋のライバルではなく、ネルヴァはひそかにリリーも愛していたけれども、兄としてアーチボルトも愛していた。彼らが築いた屋敷を、家庭を一員として守りたかった。それゆえに暗くよどんでしまった屋敷に、メアリーがきてさらに崩れてしまうことを恐れていたのでは。

 
若手俳優関係でいうとディコン役松田凌さん。
グルステでしか観たことないもののわたしのなかで彼はお芝居の人というイメージが強かったので歌は未知数でしたが、伸びやかで清涼感のある歌声。あと芝居→歌の切り替えがほとんどなくて自然と歌唱にはいっていてとても好きです。ディコンの屈託のない満点笑顔もとてもかわいかった。

セット、衣装について

板の上に常に蝶番で止められた大きな壁。つたが絡まる秘密の花園は、時折屋敷の窓をふさぎ込んだ主人の心を覆うようなレースのカーテンを思わせた。全体的に白とアンティーク調の美術は甘やかでときめきがとまらない。後半の花園にたどり着いたシーン、ラストの春が訪れるシーンが好き。というか照明の使い方がうまいというか、巧みと表現したい。

衣装はメアリーの最初のドレス、コート、ボンネットがとてもかわいかったし、なによりもまりさんのレースのドレス、そしてまりさん本人が美しすぎる。最初のリリーが秘密の花園でブランコにのって降りてくるシーンがあまりにも幻想的で、目を疑った。まりさん、お美しい方ですね…

許してほしい

ビジュアル面、楽曲などはとても満足。
ただ、アーチボルトが”夢の中で秘密の花園にいるリリーとメアリーが許しくれた(許してほしいといっていた)”(とてもうろ覚え)と話していた部分からこの物語に納得がいくことはなさそうだと折り合いをつけてしまった。いや、許すも許されるも、リリーはいないし、メアリーとも向き合っていないじゃないか…って。これはかなり前の児童文学に抱く感情でもないかなぁと。原作を読んでいないから納得いかないのか。それともわたしは主人公メアリーよりもアーチボルトへの感情を置きすぎてしまったからなのか。もう対象年齢をすぎてしまったのか。
あとインド式治療法も突如で混乱してしまった。1900年前半フィクション、インドに答えを求めているのか?